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明治維新の英雄たち!「維新の十傑」について元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。今日は維新の十傑について勉強していくぞ。

江戸時代の幕末、日本では倒幕運動が活発化してやがては実現、武家政権が終わり明治政府による天皇中心の政治へと時代は変わっていった。

倒幕から天皇親政体制に向けての改革……それが明治維新であり、中でも特に活躍した志士を維新の十傑と呼ぶ。今回、維新の十傑について日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から維新の十傑をわかりやすくまとめた。

維新の十傑・西郷隆盛と大久保利通

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江戸城無血開城の功績が輝く「西郷隆盛」

西郷隆盛は身分の低い生まれながらも島津斉彬に才能を見出され、維新の十傑に数えられるほどの人物になりました。倒幕運動が活発になった頃、徳川慶喜の大政奉還によりあと一歩のところで機会を逃してしまいます。ただ、西郷隆盛はそれでも倒幕を諦めませんでした。

王政復古の大号令と呼ばれるクーデターを起こして徳川慶喜を無力化させ、また戊辰戦争においては新政府軍の責任者としても活躍します。中でも特に評価されたのは江戸城無血開城で、話し合いの末、お互い血を流すことなく幕府に江戸城を開け渡させることに成功しました。

また、倒幕のきっかけとなった薩長同盟にも関係しており、明治政府誕生後は廃藩置県などの政治政策にも尽力しています。ただ、最終的には明治政府と敵対してしまい、西南戦争で薩摩の軍を率いて戦うものの敗北、最期は側近に介錯を求めて死亡しました。維新の十傑に数えられた西郷隆盛でしたが、皮肉にも最後は逆賊となってしまったのです。

徳川慶喜追放の根回しで活躍した「大久保利通」

大久保利通は武士でありながら、政治家としての活躍が目立ちました。幕末では積極的に倒幕運動を勧めており、王政復古の大号令小御所会議において徳川慶喜を追放するための根回しを行っています。最も、武士としての一面も見せており、武力行使による新政府樹立を目指していました。

政治能力の高さが秀でているため薩摩藩への影響力が非常に強く、薩長同盟も大久保利通なしでは実現しなかったでしょう。また、大久保利通は明治政府誕生後も政治で活躍しており、富国強兵をスローガンにしていました。さらに、岩倉使節団の一員として海外にも渡って外交にも尽力します。

しかし、それが西郷隆盛と対立する要因になってしまい、共に倒幕を果たして新政府樹立を実現した西郷隆盛と決別、その後に起こる西南戦争では西郷隆盛と戦うことになるのです。西南戦争では明治政府側に就いて勝利しますが、大久保利通はその翌年に暗殺されてしまい、壮絶な最期を遂げました。

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維新の十傑は文字どおり10人存在するが、西郷隆盛と大久保利通は維新の三傑に数えられるほどの人物だ。また、維新の十傑の選定基準には幕臣が含まれておらず、「幕臣以外の倒幕・明治維新に尽力した志士」というのが基準だぞ。

\次のページで「維新の十傑・木戸孝允と小松帯刀」を解説!/

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