日本史歴史江戸時代

経済活性化に成功した織田信長の一手!「楽市楽座」について元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説

今日は楽市楽座について勉強していきます。

戦国時代の末期となる安土桃山時代、織田信長や豊臣秀吉らは経済政策として楽市楽座を行い、商工業者を育成しながら経済の活性化を図ろうとした。

最も、こうした一言での説明は難しくないが、政策の具体的な意図や狙いは分かりづらいでしょう。そこで、今回は楽市楽座について分かりやすく日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していきます。

ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から楽市楽座をわかりやすくまとめた。

楽市楽座の「市」と「座」とは

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楽市楽座の「市」

楽市楽座は、商売をするためにかかる税金を免除して、一部の商工業者団体だけが持つ特権を廃止することです。「商売をするためにかかる税金を免除する=楽市」「一部の商工業者団体だけが持つ特権を廃止する=楽座」、すなわち楽市楽座と呼びます。

これによって誰もが自由かつ気軽に商売できるようになり、そうすれば新たな商工業者を育成しつつ経済も活性化することができ、それこそが楽市楽座の狙いでもありました。ちなみに「市」とは市場のことで、鎌倉時代に入った頃から日本では農産物や手工業品が取引されるようになります。

最も、律令制の日本では都の東西に市を置くようになっており、決まった場所以外で市を開くことは禁止、常に管理された状態でした。それでも市は次第に人々の集まる周辺で定期的に開かれるようになっていきます。江戸時代になると競りや入札での競売も行われるようになり、例えば江戸日本橋の魚市場は卸売市場へと発展したのです。

楽市楽座の「座」

次に「座」ですが、座とは朝廷、有力な公家、寺院などから保護された商工業者の団体で、お金を支払う見返りとして商品の販売や営業を独占する権利を与えられていました。商業が発達して各地で定期市が開かれるのが一般的になった頃、各地では様々な特産品が生産されるようになります。

紙、酒、油、陶器、中でも京都の西陣博多の絹織物はその中でも特に有名で、刀や農具を造る鍛冶や鋳物(いもの)も盛んに行われ、高い技術を持つ人々が増えていきました。こうした人々はやがて職人と呼ばれるようになり、そして職人達が同業者の団体となる座を作っていったのです。

座には様々な類の団体があり、人数も数十人程度のものから数百人以上にもなる大規模なものまで、実に多くの種類が存在していたようですね。現代で例えるなら、組合に相当するものと考えるとイメージしやすいのではないでしょうか。また、座には特権がある一方で弊害もあり、いわば一長一短のものだったと言えます。

「座」の弊害と楽市楽座の経済効果

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\次のページで「「座」の弊害」を解説!/

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