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ギーズ公を暗殺したヴァロワ朝の最後の君主「アンリ3世」の生涯を歴女が5分で解説!

よぉ、桜木建二だ。今日はフランスの王家、ヴァロワ家最後の君主アンリ3世についてだ。

アンリ3世は悪女として有名なメディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスの3男として生まれた人物。彼の兄たちの治世でフランス国内ではユグノー戦争が勃発。そして国内が宗教戦争で荒れた時代に、有力な貴族ギーズ家のアンリ、ブルボン家のアンリらと三つ巴の戦いを繰り広げた人物だ。

今回は歴女のまぁこと一緒にアンリ3世の生涯を解説していくからな。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

totocco0630

ライター/まぁこ

ヨーロッパ史が好きなアラサー女子。中でもヨーロッパの王家の関連書を愛読中!今回はフランスの王家、ヴァロワ朝の君主アンリ3世について解説していく。

1 アンリ3世とは?

image by iStockphoto

アンリ3世は、フランス王の父アンリ2世とメディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスの3男として誕生。彼には2人の兄がおり、父アンリが亡くなると長男フランソワ、次男のシャルルが王位を継ぐことに。アンリ3世は73年にポーランド王に選ばれることになりましたが、シャルルが病死したためフランス王として即位することに。ここではアンリや彼の家族について触れていきます。

1-1 誕生

アンリは1551年にアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの3男として誕生。彼にはフランソワとシャルルという2人の兄がいました。父アンリ2世の死後は、フランソワとシャルルが次々に即位。しかし病弱だった2人は相次いで亡くなったため、王冠がアンリのもとにやって来ることに。アンリの幼少期には芸術や読書を愛していたそう。またスポーツではフェンシングをしており、その腕前はなかなかという評判でした。

1-2 アンリの家族

アンリ3世の家族はとても有名な人物たちが多いですよね。父アンリ2世はヴァロワ朝10代目の国王。そして2世の妃でアンリらの母はフィレンツェの名門家出身のカトリーヌ・ド・メディシス。後年彼女はアンリ2世が事故死した後に政治を牛耳ることに。カトリーヌは人の子どもを産み、そのうち7人が成人し、息子はアンリを含め4人いたそう。長男のフランソワは体が弱く、アンリ2世が亡くなった後に即位しますがわずか1年で死去。ちなみに5歳からフランソワの婚約者としてフランス宮廷で過ごした人物にメアリ・ステュアートがいますね。同じく病弱だった次男シャルルはアンリが健やかに成長していく様子に嫉妬していたそう

1-3 仲が悪かった両親

さてアンリ2世とカトリーヌと言えば、ディアーヌを思い浮かべる方もいるのではないでしょうか。ディアーヌとは、アンリ2世の教育係をしていた未亡人の貴族女性。驚くべきことに年齢はアンリの母よりも上でしたがずっと美しかったと言われています。

ちなみにアンリとカトリーヌの結婚に対して反対意見が出た際に、ディアーヌが2人の結婚の後押しをしたことが知られています。フランソワ1世がもともとこの2人の結婚を決めましたが、フランス宮廷内では反対意見が。そんな時にディアーヌがカトリーヌは遠縁の親戚であることを示し、アンリの妃としてふさわしいと説得したそう。アンリの愛妾となったのは1538年頃とされていますが、幼少期からディアーヌを慕っていたことが知られています。愛妾だけでなく、アンリにとって信頼できる盟友でもあり、政治に関するアドバイスもしていたディアーヌ。一方のカトリーヌは10人も子どもを産んだのにほとんど顧みられることはなかったそう。

1-4 父アンリ2世の事故死

Tournament between Henry II and Lorges.jpg
16th century German print, anonymous – “Catherine de Medicis et Henri III” Historia, パブリック・ドメイン, リンクによる

これまで蔑ろにされていたカトリーヌ・ド・メディシスでしたが、夫のアンリ2世が槍試合で事故死すると政権を握ることに。父アンリの後を継いだのが、長男フランソワ。彼はフランソワ2世として即位することに。ところが彼は生まれつき体が弱かったのです。フランソワの体調と政治経験不足から、カトリーヌは摂政として政治を牛耳りました。しかしフランソワが急死してしまうことに。これによって次の王位はわずか10歳だった次男シャルルのもとへ。

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