

それじゃ、「パン・アフリカ会議」ではどのような問題が話し合われ、どのような課題を解決できたのか、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。
- 「パン・アフリカ会議」はパン・アフリカ主義を発信することが目的
- パン・アフリカ主義は黒人のアイデンティティー運動
- 奴隷制度により離散したアフリカ人の連携を主張
- 「パン・アフリカ会議」の背景にあるのは奴隷制度の歴史
- W.E.B.デュボイスはアフリカ系アメリカ人がかかえるジレンマを分析
- 全米黒人地位向上協会を創設して公民権運動をけん引
- D.W.Bデュボイスを中心とする「パン・アフリカ会議」は計5回
- 第1回パンアフリカ会議ではパスポート発行拒否による不参加も
- 第2回パンアフリカ会議では参加者の幅が広がり始める
- アフリカ人の利益の追求が確認された第3回パンアフリカ会議
- 第4回パンアフリカ会議はニューヨークで開催
- 第5回パンアフリカ会議からメンバーのアフリカ化が進む
- 「パン・アフリカ会議」はアフリカ大陸の独立運動の精神的支柱に
- エンクルマを中心にアフリカ諸国連合を結成
- 「アフリカの年」以降は分裂が加速する
- 「パン・アフリカ会議」は理想と現実のあいだで揺れ動く
この記事の目次

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。人種差別の歴史をみていくとき「パン・アフリカ会議」を避けて通ることはできない。「パン・アフリカ会議」は、人種差別の撤廃や世界の平和のあり方を話し合うために開催された。その中心者であるW.E.Bデュボイスの活動に注目しながら「パン・アフリカ会議」について解説する。
「パン・アフリカ会議」はパン・アフリカ主義を発信することが目的

1900年から始まった「パン・アフリカ会議」の主な目的は、パン・アフリカ主義を世界に発信すること。奴隷貿易などを通じて世界各国に散らばっているアフリカルーツの人々をまとめる役割を担いました。
パン・アフリカ主義は黒人のアイデンティティー運動
「パン・アフリカ会議」の軸となるパン・アフリカ主義は、アフリカ系の黒人のアイデンティティー運動の総称。長らくアフリカに住んでいる々は、ヨーロッパの白人の「奴隷」という位置づけを余儀なくされていました。奴隷制度があった時代は人間として扱われず、奴隷解放のあとも、いろいろな面で平等に扱われてきませんでした。
しかしながら、アフリカ系の黒人の労働力などの貢献があったから欧米諸国は経済的に豊かになったと考えられるようになります。また、戦争が勃発した際、黒人兵士たちは白人兵士と同じように兵役につき、国家の料理に貢献したことも血主張されるように。高いレベルの教育を受けた黒人知識人を中心に、アイデンティティー運動が展開されるようになります。
奴隷制度により離散したアフリカ人の連携を主張
パン・アフリカ主義の基本的な主張は「奴隷制度により世界各国に離散したアフリカ人は連携するべき」というもの。奴隷貿易を通じて連行されたアフリカ人の行先は、アメリカ合衆国のみならずヨーロッパ諸国にも及びます。もちろん、アフリカ大陸に住んでいる人々も同じルーツ。しかし、同じルーツにある人々が関わり合いをもつ機会は皆無でした。
アメリカ合衆国では、奴隷解放後のアフリカ系の黒人は、手に職を付けて合衆国のメンバーとしての「同化」を目指すべきとする考えを持つ人もいました。それに対して、黒人には黒人の歴史と文化があることを誇りに思い、その独自性を主張する方が大切という声も目立ち始めます。それが「パン・アフリカ会議」の開催につながりました。

パン・アフリカ主義があらわれた背景として、大学等で高度な教育を受けた黒人知識人が増えてきたことが挙げられる。彼らはアフリカの歴史を学ぶことで、自分たちが置かれている立場に疑問を感じるようになった。
「パン・アフリカ会議」の背景にあるのは奴隷制度の歴史
By Henry P. Moore – Library of Congress (Image page), Public Domain, Link
「パン・アフリカ会議」が開催された背景として、忘れてはならないのが奴隷制度の歴史です。アメリカ合衆国では、南北戦争後に奴隷制度は廃止されました。しかし、奴隷制度を思い出させるような事件が何かと起こります。たとえば公共施設の利用。白人と黒人の入り口を分ける、黒人出入り禁止とする施設は20世紀に入っても数多く存在していました。
「パン・アフリカ会議」の開催者たちは、奴隷制度が完全に払しょくできていない状況に疑問を感じ、アフリカ系の黒人が自ら主張する場を設ける必要性を感じ始めます。そこで会議に問題意識を共有している関係者を集め、黒人がどのような問題に直面しているのかを議論。解決のっ必要性を訴えるようになりました。
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