今回は評価が分かれる司馬炎の事績について、歴史オタクなライターkeiと一緒に見ていきます。
ライター/kei
10歳で歴史の面白さに目覚めて以来、高校は文系、大学受験では歴史を選択し、大人になっても暇があれば歴史ネタを調べ歴史ゲームにのめり込む軽度の歴史オタク。洋の東西問わず、中でも中国史と日本史が好き。今回は晋の司馬炎をわかりやすくまとめた。
魏の司馬炎
Yan Li-pen – https://www.mfa.org/collections/object/the-thirteen-emperors-29071, パブリック・ドメイン, リンクによる
司馬炎は、古代中国三国時代・魏(西暦220年~226年)の国に生まれ、後に晋(西暦265年~420年)の初代皇帝(武帝・在位265年~290年)となった人物です。その生涯はどのようなものだったのでしょうか。
魏の有力者・司馬昭の長男として生まれる
司馬炎は西暦236年、魏の有力者・司馬昭の長男として生まれました。司馬昭の父は、物語三国志において蜀の諸葛亮と知恵比べをすることになる魏の軍師であり重臣・司馬懿。司馬昭はその次男で、司馬懿にとっては孫に当たります。
司馬昭の妻であり司馬炎の母である王元姫は、こちらも魏の有力者・王朗の孫娘で、貴族の血統として申し分無い家柄。
魏が定めた官吏登用制度である九品中正法による推薦書には、「寛容にして仁義厚く、沈着深謀にして度量あり」として、他に比べるものは居ないほどの逸材であると評された、と史書には記されています。
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司馬一族の権力掌握 政敵を追い落とす
司馬懿をはじめとする司馬一族は、西暦249年の正始の変において、政敵となる皇族・曹爽一派を倒し、魏の朝廷における実権を握ります。このクーデターを主導した司馬懿とその長男・司馬師は、その後魏の南方で相次いで起こる反乱を鎮圧。司馬一族の魏における権力を確固たるものとしていきますが、相次いで病死。その権力基盤は司馬昭に引き継がれます。
司馬一族の権力掌握 皇帝を殺す
政権を引き継いだ司馬昭は、父や兄の代から起こっていた南方の反乱を抑えて一族の権勢を維持していましたが、それを苦々しく若くて胆の据わった皇帝・曹髦(そうぼう)が、宮廷のわずかな近臣とともに反司馬氏で挙兵。腹心の独断により皇帝を殺して鎮圧せざるを得ませんでした。
腹心に指示されて皇帝に止めを刺した兵、及び、皇帝の挙兵を事前に司馬氏に具申しなかった近臣を処刑。皇太后に圧力を加えて、皇帝が乱心して皇太后を殺そうとしたという嘘の詔勅をでっち上げ。曹髦を皇帝から侯(高貴郷公)に格下げし、遠縁から曹奐(そうかん)を新たな皇帝に迎えて事態を収拾します。
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