日本史歴史江戸時代

江戸時代最大級の大災害「明暦の大火」3大火事のひとつについて歴女がわかりやすく解説

3-3、死者の埋葬と回向院の建立

Stupa of The Great Fire of Meireki 20100214.jpg
Tobosha (逃亡者) – 自ら撮影, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

火災後、身元不明の遺体は幕府が本所牛島新田に船で運び埋葬、増上寺の法主遵譽貴屋に命じて法事を修させ、後に供養のために回向院が建立されたということ。

3-4、江戸の都市改造も

image by PIXTA / 39746892

明暦の大火の復興として江戸の都市改造が行われ、北の丸にあった御三家の屋敷が江戸城外に転出に。また武家屋敷、大名屋敷、寺社の移転、そして市区の改正が行われ、防衛重視で千住大橋だけしかなかった隅田川に、両国橋や永代橋などが設置されたことで、隅田川東岸に深川など市街地が拡大されることとなり、吉祥寺や下連雀など郊外への移住もさかんになったそう。防災の取り組みとしては、火除地や延焼を遮断する防火線としての広小路の設置。防火のための建築規制として、耐火建築の土蔵造や瓦屋根の奨励も。

また、西の丸以外はすべて焼失した江戸城は本丸、二の丸、三の丸が再建されたが、天守閣は再建されず。保科正之は、今のようなときに天守閣を建設するのは庶民の迷惑と言ったそう。

4-1、明暦の大火の逸話

Musashiabumi Great Fire of Meireki.jpg
Terajima Ryōan (寺島良安, Japanese, *1654, †?) – scanned from ISBN 978-4-642-08583-0., パブリック・ドメイン, リンクによる

明暦の大火は、明和の大火、文化の大火と並んで江戸三大大火と言われるが、明暦の大火の被害は延焼面積、死者ともに江戸時代最大のもので、関東大震災や東京大空襲などその後の震災や戦災を除いても日本史上最大の災害で、世界史上有名なローマ大火、ロンドン大火に匹敵するという悲惨な大火事。逸話をいくつかご紹介しますね。

4-2、大奥では髪を結うように

大奥の女性たちは、この明暦の大火以前は、ロングヘアを結わずに安土桃山時代とおなじく垂髪にしていたが、避難するときに邪魔になった教訓からか、以後、一般の武家女性や町娘と同じように日本髪を結うようになったそう。

4-3、車付き長持ちの禁止

狭い道を多くの民衆が荷物を持って避難する際、長持ちの底に車輪のついた「車長持」で家財道具を運び出したために渋滞が発生し、死者数増大の一因となり、車長持の製造販売が禁止に。

\次のページで「4-4、囚人切り放ちのきっかけに」を解説!/

次のページを読む
1 2 3 4
Share: