美術館に行くことの意味とメリットって何?文学部卒ライターがサクッとわかりやすく解説!
中でも、2008年に開催されたフェルメール展に行ってからはヨハネス・フェルメールの絵に興味を持つようになりました。
とはいえ、美術館に行くのが好きという人も、逆に良さがいまいち理解できないという人もいるかと思います。
そこでここでは、私が考える美術館に行くことの意味やメリットを文学部卒で、社内でもたくさんのビジネス文書を作成している筆者が説明していきます。
美術館に行くことの意味とメリット
それでは、以下に私自身が考える美術館に行くことの意味やメリットを説明していきます。
その時代の空気を感じることができる
美術館に展示されている絵画には、数百年前に描かれたものも多くあります。
絵画に描かれているモチーフは、必ずしも絵の描かれた時代のファッションや生活環境を表してはいません。しかし、絵画を見たり解説に目を通すと、その時代の生き方の規範となる考え方やその時代に生きた画家が絵画表現にとって何が大切と考えていたかが伝わってきます。
とくに写実的な絵画や風俗画といわれる絵画には、その当時に描かれた絵画を見ることでその空気感を感じることができたり、その当時の生活の様子を垣間見られるのです。そうした昔の時代のことは、普通に生活しているだけでは、なかなかどんなものだったか想像が付くものではありません。美術館の絵画のなかから読み取ってみるのも楽しいと思います。
感性を刺激される
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何百年と経った現代において優れた絵画として残っている作品は、やはり技術・表現力に秀でていて、見る人の心に何かを訴えかけたり揺らがせるものがあると思います。
たとえば美術館に展示されている肖像画には、まるで目の前にその人がいるかのように微細なところまで描かれているものもありますが、私はそうした絵を見ながら「この人はこの時何を考えていたのだろう」「穏やかに佇んでいるこの瞳の奥にはどのような思いがあったのだろう」などと、当時の人々に思いを馳せながら想像力を働かせられるのです。
また、背景や室内の設え、絵のなかに配された道具類から当時の人々がどんな美意識や価値観を持っていたかを推察する楽しみもあるとは思いませんか。
時代を反映する絵画作品
美術館に収蔵されている絵は、時代も画家もさまざまですが、たとえばヨハネス・フェルメールの絵には、「手紙を読む女と召使」など当時の人の日常の一部を切り取ったように描かれているものがあります。フェルメールは、1632年オランダのデルフトに生まれ、15歳で画家に弟子入りし、20才で家業の居酒屋兼画廊を継ぎ、家業を経営しながら画家として制作を続けた人物。光を巧みに生かした繊細で精密な風俗画を得意としていました。
そのフェルメールの絵からは、この時代の人々の生活をまさに垣間見ているように、当時の生活感がありありと感じられますし、絵に描かれていない部分のその人々の生活がどんなものだったのかということまで想像できるのです。
それと同時に、そこからは穏やかで静かな空気感が漂い、どこか淡々としていながらも優しく温もりがあり、自然と見る人の心を静かに絵に集中させて、一時的に現実からその世界に引き込まれるような感覚を持つことができます。
同じ作家の「ワイングラスを持つ娘」のような絵は、「この絵に描かれている人々は何を考えているのか」「どんな意図で描かれているのか」と強く想像力を掻き立てられるのは私だけではないことでしょう。
フェルメールとは、まったく時代も作風も異質な画家ともいえる画家にアンリ・ルソーがいます。精緻でも写実的でもありませんし、当時のフランスの画壇で評価されたわけでもありません。しかし、19世紀末期から20世紀の画家のゴーギャンやピカソ、そして詩人のアポリネールなど当時の前衛的なアートの作家によって評価されていました。今、アンリ・ルソーの作品を見ると、一般大衆の教養として博物学や植物学といったものに関心が集まり、未知なる世界へのあこがれや空想を広げた時代の空気を感じます。
たとえば「ライオンのいるジャングル」や「夢」「蛇使いの女」のようにジャングルが描かれていてもルソーは実物を見たわけではありません。従来の伝統的な絵画様式にとらわれず、自らの方法で制作したルソーを認めてくれた人物のなかにピカソがいたというところにも、時代の変換期を感じます。
このようにして、画家によって異なる時代の人々に思いを馳せながら、いろいろと想像してみることは普段の生活から離れて頭を切り替える良い機会です。ただの受け身で過去のことを捉えているだけの状態よりもより歴史などに興味が湧いてくるきっかけにもなり自分の世界を広げることにもつながります。
素晴らしいものに感動する
普段私たちは、映画やドラマを見て感動することが多いです。
そうしたものも一種の芸術といえますが、絵画などの美術作品にはまた違った良さがあると思います。
それが絵画であった場合、色遣いの鮮やかさであったり、陰影やグラデーションの見事さ、微細なところにまでこだわって描かれた観察力や技術力の素晴らしさに目を奪われるといった体験も味わえるのです。
また、そこに表現された世界観やさまざまな素材を1枚の絵としてまとめあげる構図の妙、時には額縁に施された細工や技法の繊細さや絵画との調和などを見ても人間の美に対する情熱に感動することも少なくありません。
その観点でいうと、芸術作品はその時代の様子や空気感を後の世に伝えてくれる貴重な存在で、美術館はその宝庫です。美術館に足を運ぶことがなければ、それらの作品を目にすることもなく、さまざまな時代感覚を持った絵画に触れることもないでしょう。
逆に、足繁くとまではいかなくても積極的に美術館に行き、そうした作品を直接見た経験は、書籍やネットなどから得ただけの知識より、より深く感覚的に捉えることができます。結果として自分自身の知見を広げることにもつながるのです。
美術館に行くことは、すばらしい美術作品に触れることだけでなく、これらの作品の置かれている美術館という環境自体やその歴史に関心を寄せることで、より楽しむことができると思います。
また、展示される美術作品は、美術館によっては歴史的な作品ではなく、現代の作品を展示している所も。なかには抽象的な作品やなかなか意図の理解しづらい作品もあります。
しかし先入観なしに、こうした作品にも向き合うことで、さまざまな感想や思いが湧いてくることでしょう。そうした心の動きを大切したいものです。
実物から受ける印象は格別
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美術館で実物の作品に触れる魅力は、絵画作品や額装、そして展示されている建物や部屋など、作品を形づくる環境全体からも感動をもらえることです
ちなみに、私は先日イギリスのナショナルギャラリーに行った時にフィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」を見ましたが、その絵にはぱっと人目を惹く明るさと華やかさがあり、生き生きとして生命感に溢れて、躍動感にあふれていました。
美術館で絵画作品を鑑賞するのと打って変わって、Web上などにある画像でこの作品を見てもそれと同じ感動は得られません。
やはり実物を見ることの感動に代わるものはないですし、その価値というのは大きいと思います。
とはいえ、ただ流し見るような見方ではそれらが伝わらないこともあるかもしれません。一つ一つの作品を時間を掛けながらじっと見つめて観察していると、細かなところにまで視線が行き、何か気が付くことや心に残るものがあるかと思います。
このような素晴らしいものに心を動かされるという時間を持つことも一種の気分転換。普段の生活からは得られない違った感性を育てることにもつながる貴重な機会となることでしょう。
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