「悲壮感」の意味と使い方・例文・「悲愴感」との違いは?新聞記者歴29年の筆者がわかりやすく解説!
「悲壮感」とは
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「悲壮感」と「悲愴感」、一般的な使われ方を見ると、それほど明確に区別されてはいないのかもしれません。しかし、本来の意味から考えると、はっきりとした違いがあります。
それではまず、「悲壮感」の意味と使い方について見ていきましょう。
「悲壮感」の意味
「悲壮感」は、名詞・形容動詞の「悲壮」と接尾辞化した名詞「感」から構成されています。
「悲壮」とは「悲しさの中にも雄々しく勇ましいところがあること」を言い表す語です。「感」は単独で用いると「物事に対して持つ思い」を指しますが、他の語の下に付くことで「~のような感じ・感覚・感情」となります。
したがって、「悲壮感」は「心が痛むような悲しさと力強い勇ましさを同時に覚えるような感覚(を抱かせる事物)」を指すといえるでしょう。
「かなしい」とは?
ちなみに、「かなしい」とは、どのような感情なのでしょう。
古くは「かなし」という言葉で、漢字を使うと「愛し・悲し・哀し」とさまざまな形で表記されていました。
「愛」という漢字から受ける印象の通り、「いとしい。切ないくらいかわいい。身に染みて心惹かれる」というところから発生した語のようです。次第に「痛切で胸がつまるような思い」を感じることから展開して、「心が痛む思い。切なく悲しい。つらい」といった感情につながっていきました。
また、一人称主体の感情でもありますが、一方で人に悲しみを与える内容の事物に対しても用います。「悲壮感」といった場合には、主に後者の意味の「かなしい」が含まれるでしょう。
「悲壮」の由来
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「悲壮」を構成する漢字2文字を、それぞれ見ていきましょう。
「悲」は形容詞としては「ものさみしい。こころにかなしく響くさま」の意味を持ちます。仏教の中では「あわれみ。慈悲」を指すようです。「心」と「非」から構成されており、「心を痛める」様子を表しています。
「壮」は「大きく立派なさま」を指すことから「勇ましいさま」を言い表す字です。中国漢代に書かれた歴史書『漢書(かんじょ)』には「抜剣割肉、壱何壮也(大意:剣を抜いて肉を切り裂く。なんと勇ましいことであろうか)」との記述がありました。
以上を合わせて考えると、「悲壮」は「心を痛める、悲しみを誘うような様子を見せつつも立派で勇ましい」となります。つまり「悲壮感」とは、そうした様子を見るものに感じさせる人物・事物・出来事に対して抱く感情のことです。
以上を踏まえて、「悲壮感」の使い方を例文で見ていきましょう。
「彼女の手紙には、悲壮感とも受け取れる言葉で、心臓の病気と闘う決意がしたためられていた」
「主人公の悲壮感に満ちた最期に、自分を含めて観客はみな涙した」
「負ければ引退という悲壮感あふれる覚悟を持って、頂上決戦に必死に挑んでいる」
「あまりに絶望的な挑戦だと思われたが、当の本人は悲壮感など全く感じていない様子だった」
「独特の悲壮感を漂わせるメロディーに、思わず涙ぐむ」
「悲愴感」との違い
次に、「悲愴感」について詳しく説明していきます。
「悲壮感」と同じく、心が痛む様子を言い表しているように感じられますが、何か違いはあるのでしょうか。
「悲愴感」の意味と使い方
「悲愴」は「悲しくいたましいこと」という意味の言葉です。
「愴」も「悲」と意味的には非常に近く「いたむ。悲しむ」「失意のさま」を言い表します。ですから、同じような意味の漢字を重ねることで、より「悲しい様子」を強調した熟語です。
マイナスのイメージを強く持つ語なので、ドストエフスキー『白痴(はくち)』やユーゴー『レ・ミゼラブル(ああ無常)』の日本語訳に幾度も登場するという点には納得ですね。
これに「感」と付けることで「非常に心が痛む、悲しい思いを感じさせる事物・様子」となります。
例文:
「突然の悲劇に遺族はみな悲しみに打ちひしがれており、沈痛な面持ちがいっそう悲愴感を漂わせていた」
「映画の結末には感動を覚えたが、単に見た目の悲愴感に心を動かされたわけではない」
「死と隣り合わせの状況にあっても、意外なほど彼らの表情は明るく悲愴感は感じていないようだった」
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