
「先見の明」の意味と使い方・例文・類義語は?新聞記者歴29年の筆者がわかりやすく解説!
「先見の明」とは

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「先見の明」は主に、今にして思えばあの決断は正解だった…といったケースで用いられます。プロジェクトを率いたリーダーや、転機となる重要な判断を下した人物に対して「先見の明がある(あった)」と言い表すことが多いでしょう。
では、以下に「先見の明」の意味と使い方について解説していきます。また、由来についても紹介しましょう。
「先見の明」の意味
「先見の明」とは「将来のことを前もって見抜く見識」ということを意味する言葉です。
「先見」にはいくつかの意味がありますが、この場合は「事前に見抜く」ということを指しており、中国唐代に書かれた歴史書『北斉書』に古い用例があります。「時稱(称)瓊之先見」という箇所がそれで、大意は「張瓊(ちょうけい)の先を見抜く力を称えた」といった感じでしょうか。
一方、「明」とは、漢字の構成からイメージできるように、本来「月や日の光」を意味しました。そのことからやがて「視力」を指すようにもなります。この意味では「失明」という熟語の中で使われているので、ピンときた方もおられるでしょう。
2つを合わせて、「事前に見抜く視力」つまり「未来に起こる(かもしれない)事柄に対して、鋭い見識をもって答えを導き出す」といった意味になります。
では以上を踏まえて、使い方をみていきましょう。
「明治維新は高い志と先見の明のある志士たちによって力強く推し進められた」
「確かな先見の明を持った経営者であれば、うまくリスクを回避し業績を伸ばしていくことも可能だろう」
「彼は二代目とはいえ幅広い経験と先見の明があり、社長として相応しい人物だ」
「経営者には現実を見据える冷静さと的確な判断を下すための先見の明が必要だ」
「先見の明」にまつわる故事

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「先見の明」は中国の故事に由来する言葉です。
中国宋代に成立したとされる『後漢書(ごかんじょ)』の「楊震(ようしん)伝」の中にある、楊彪(ようひょう)について書かれたくだりの中に登場します。
「愧無日磾先見之明、猶懐老牛舐犢之愛」(大意=恥ずかしいことに、私には金日磾のような先を見通す力がなく、年老いた牛が子牛をなめ可愛がるような愛情だけしか持っていませんでした)との記述がそれです。
これには伏線があります。楊彪には楊修(ようしゅう)という子供がいましたが、あるとき主人の曹操(そうそう)の機嫌を損ねて殺されました。後日、曹操が楊彪と面会したとき、楊彪が金日磾を引き合いに出して言った言葉が「先見の明」です。
金日磾(きんじつてい)とは、漢の時代、自身の出来の悪い双子が武帝に将来迷惑をかけるのではと憂慮し、長男を殺してしまったという話がある人物。これを踏まえることで「日磾のような先見の明」という表現が重く意味を持ちます。
つまり「私に未来を見る能力があり、自分の手で息子・楊修を殺していれば、あなた(曹操)に迷惑をかけることもなかったでしょうに」という、非常に自虐的とも深い怨恨ともとれる内容の発言の中に使われていました。
舐犢の愛(しとくのあい)
ちなみに、同じ故事からもうひとつ「舐犢の愛」という慣用句が生まれました。「親牛が子牛をなめて可愛いがるように、親が自分の子供を可愛がり、深く愛している」といことを言います。
使われている漢字も読み方も非常に難しいですが、覚えておくと役に立つかもしれません。
予見(よけん)
「予見」には「物事の行く末を予想する。物事が起こる前にあらかじめ見通して知ること」という意味があります。
もちろんこれから先のことを見通すわけですから、いろいろな能力が必要なことは想像できますが、「予見」という言葉そのものに「能力が高い」意味はありません。「先見の明」とは少しニュアンスが違うところでしょう。
例文:
「ユーザーの誤使用によって発生が予見される事故を未然に防ぐための対策を講じる」
「その製品は他社の二番煎じに過ぎない。失敗することは予見できたはずだ」
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