
「知行合一」の意味と使い方・例文・対義語は?新聞記者歴29年の筆者がわかりやすく解説!
「知行合一」とは

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「知行合一」は中国明代(日本では中世あたり)に生まれた学説で、「知行合一説」と呼ぶこともあります。のちに日本にも伝わり、さまざまな分野に大きな影響を与えました。「知行並進(ちこうへいしん)」と表現することもあるので、覚えておきましょう。
では、「知行合一」の意味と使い方について、説明していきましょう。
「知行合一」の意味
「知行合一」の意味をまとめると、以下のようになります。
・「知」とは知識のこと。知識が広がることのみを追っていても、本当の意味で知っていることとは別。
・「行」とは行動・行いのこと。真の知は必ず行を伴うものであり、知って行わないのは真の知とは言えない。
・「合一」はひとつにすること。知→行という順番はなく、知(知識)と行(実践)は表裏一体であり不可分のもの。
たとえば「舌にある甘味受容体を刺激し、脳が知覚することによって、砂糖が甘いと感じるのだ」という理屈だけを知っていても、砂糖を口にしたことがなければ、本当に「甘い」と言うことを知っているとは言えないのではないでしょうか。
本当はもっと難しく深い考え方だと思われますが、平たく言うと以上のような説だと押さえておくとよいでしょう。
「知行合一」の由来

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「知行合一説」の提唱者は、明の思想家・王陽明(おうようめい、1472-1528年)です。
王陽明は、朱熹(しゅき)の学説に反対し、陸象山(りくしょうざん)の学説に基づいて、実践を重んじ知行合一の説を主張したことで知られます。のちに「陽明学」と呼ばれる考え方の始祖です。
この王陽明の語ったことが弟子たちによって『伝習録』という書物にまとめられており、「知行合一」に関するやりとりもこの中に記述されています。
弟子のひとり、徐愛(じょあい)の質問に対し「待知得真了、方去做行的工夫。故遂終身不行、亦遂終身不知。(中略)某今説箇知行合一、正是対病的薬」と答えます。大意は「知識を蓄えてから行の工夫をするようでは、真の知行には至らない。知行合一説は、正にこのような病に対する薬である」といったところでしょうか。
以上を踏まえて、「知行合一」の使い方を例文を使って見ていきましょう。
「情報過多では頭でっかちになってしまう。少しは知行合一の精神を学んだほうが良いだろう」
「彼は知行合一の人で、知識力と行動力を併せ持っている」
「吉田松陰が松下村塾の塾生たちに教えた知行合一の考え方は、後の明治維新に大きな影響を与えた」
「知行」の読み方は、正しくは「ちこう」です。「ちぎょう」と読むと、別のこと(主に日本の中世以降における武士の土地所有権)を意味します。誤らないように気を付けましょう。
また、現在の「知ったらすぐに行動せよ」「正しいことを知り正しい行いをする」「言葉と行動が一致していないと信用されない(=言行一致)」といった理解には、独自の解釈が加えられており、本来の意味からは少しズレているかもしれません。
湯川秀樹は…
ノーベル賞物理学者・湯川秀樹はその著書『この地球に生まれあわせて』(1975年)の中で、「知行合一」について触れているので紹介しましょう。
人類はさらに大人にならないと、という文脈の中で「思ったことはなんでもやる、なんでも思考したことはただちに行動するという意味の知行合一をやっていたら、人類はたぶん滅びます」と論じています。
人類は早く大人になって自分自身を制御する(「行」を少なくする)ようにならねば、との主張です。ここでも「知行合一」の独自解釈が問題視されています。
対立する考え方

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「知行合一」とは本来、朱熹が唱えた朱子学への批判からスタートした考え方です。つまり、朱子学の考え方の一つ「先知後行(せんちこうこう)」は、王陽明の「知行合一」とは対義だと言うことができるでしょう。
では、以下に「先知後行」を説明していきましょう。
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